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東京都足立区の歴史
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所在地 足立区千住橋戸町31先

  奥の細道矢立初の碑
松尾芭蕉は千住で舟を下り、奥の細道へと旅立ちました。有名な「行く春や鳥啼き魚の目は涙」の句はここで詠まれたのです。



  史跡
千じゅと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝく
  行春や鳥啼魚の目は泪
是を矢立の初として、行道なをすゝまず。人々は途中に立ならびて、後かげのみゆる迄はと見送なるべし。



   千住大橋と奥の細道
 千住大橋は文禄3年(1594)、伊奈備前守忠次を普請奉行として、現在地よりやや上流の位置に隅田川最初の橋として架けられました。まだ治水も十分でなかった大川での架橋は難工事でした。伊奈備前守は、工事の際に熊野権現に祈願して、架橋の無事完成を期したと伝わっています。その後いくたびか架け替えや修理が行なわれました。現在の鉄橋は、昭和2年(1927)に完成した長さ92.5mで、当時としては総アーチ型という最新の橋でした。 
 江戸時代の俳人、松尾芭蕉は元禄2年(1689)、門弟曾良とともに深川より隅田川を船でさかのぼり、同元禄2年(1689)3月27日ここ千住大橋の辺りで船を降り、「奥の細道」の旅へ立ちました。この時、矢立てより筆を取って「行春や鳥啼魚の目は泪」と一句。過ぎ行く春を惜しむと同時に、旅立つ者に人ばかりか鳥や魚までが別れを悲しんでいるという意味です。そこには、江戸を離れる芭蕉の想いが隠されています。その後、奥羽・北陸をへて大垣に至る約600里、半年にわたる行脚をし、道中の詠句をもとに「奥の細道」が編まれました。
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